「夕刊」の配達時間からとんでもないことを考えているおじさんの巻き

2023年6月26日(月)    kumanoayu 


写真① 曇天の日の靄(もや)に包まれて幻想的なイメージを醸し出しているいつもの
    「上の池公園/高槻市内」             (23.06.26 写す)


 郵便受けには定期的に当然のように購読している新聞の朝刊、午後には昼が済んだと思ったころ既に夕刊が入っている。
朝刊はかなり早い、いわゆる「早朝」から配達されているようであるから、「あるから」と言ったのは早起きしてそれを現認したことが無いので、その様に推測してもの申したまでのことである。


従って朝少なくとも自分が高いびきで睡眠をむさぼっている時に、雨の日も風の日も、雪の日も(最もこの大阪地区では滅多なことでは積雪は無いので有るが)早くから配達がなされているのであるから、それを称して「朝刊」と呼ぶのは自然のならいであって特別違和感も持たないし、異論も無い。


写真② 花畑で水やりをしていると、仲良し親子が訪ねて来てくれました。
    (23.06.25)


しかしふと思う。「朝刊」、誰がいつ頃命名したのだろうか! どっちゃでもええことやけど、ふと文字遊びをしてみたくなる。
そもそも「新聞」と言うものが世間に登場した頃は、時間の振り分けで「朝刊」とか「夕刊」とか有ったのであろうか?
世間に登場した時は回のみの発行だったのかも知れない。とすると朝刊とか夕刊とか区別して呼び分けすることが無かったのかも知れない。


朝一番の発行に対して、それ以後の新しいニュースをお届けしましょうと言う必要性から、二番手の発行が午後の時間帯にお届けということで登場したのではなかろうかと思ったりもする。
そもそも今のように各戸配達制度なんて当初から存在していたのかも疑わしい。


写真③ 安威川の散策開始起点道標0mポスト付近から上流方向を望みます。
    (23.06.23 写す)


そのあたりは「新聞発展の歴史(仮名)」なる歴史書物でも紐解けばすぐにわかることで有ろうが、夕刊は呼び方を変えた方が良いのでは無いかと時々思うことが有る。「昼刊」とか「午後刊」ってのはどうであろうか、少し感心しないか。しかしどう考えても時とか時の話ではない。時か時頃には配達が届いているから常々そう思っているのである。


こんな事を考えていても私の生活は少しも改善しないだろう。どちらでも体制に影響はないことであろうから。


本日この論文の裏付けを得るため午後時に郵便受けを開けてみたが、まだその回目配達なる「」は入っていなかった。
やはり「昼刊」も「午後刊」もすごすごと影を隠すことと致しますか、、!


                              (おわり)


写真④ トンガリ橋(兵庫県川西市猪名川町内で 23.06.21写す)