今回の旅では多くの出逢いに感謝そして何よりも夜間の運転は控えるべしの認識を強く有することになったAYUの巻き

2024年01月21日(日)   kumanoayu 


1月10日の旅の続きです(最終編)


写真① 新宮市から本宮町へ大阪方面に向かう交差点です。ここを左折です。
     (ネットからの借用です)


 11日は目的の予定を全てこなし、いよいよ大阪に戻ることとなる。
帰路も当然のように「R168 ルートで」と心に決めていた。往路もこのルートで走って来たので数十年ぶりで有るとはいえ、道路コンデイションは把握したつもりである。ただ本日は途中から夜間走行になるので峠越えは特に注意が必至である。気温低下による「凍結」の有無についても少し心配しないといけない。


① 新宮市から本宮町そして十津川村までは、まあまあ、相当の部分は改良されていて直線
  ルートのトンネルが予測以上に多く建設、改良されていて、申し分ないと嬉しく思っ
  た。


② しかし十津川村から五條市までの区間は峠越えも多く、カーブも多く、改良のための直
  線トンネルはまだまだと言う感じで今後に期待するしかない。


写真② 紀伊半島およびR168 ルートを赤色ラインで紹介するイラストです。
    やや不鮮明ですが概要をご覧いただければ幸いです(ネットからの借用です)


休憩を兼ねて十津川村役場の横に道の駅が有り温泉の足湯サービス施設が有ったので、両足共に冷え性の AYU 様の足はかなり冷たくなっている。暗闇に明かりを見た感じで、即入湯した。かれこれ 15 分間お世話になった。温泉特有の香りがとてもきつく、鼻腔をとりこにさせる。


しかしここでの休憩が後になっていやらしい結果を招くことになるのであるが、この段階ではまだ知る由も無かったのである。


ここ十津川村役場での標高は約 300m 程と聞く。ここからは更に山岳道路が続き、その周りは標高 800m~1200m 級の山々が取り囲む。よう知らんけど道路の標高は 300m~400m 程度で有ろうと推定される。気温の低下による凍結も要注意である。


写真③ 国道168号(24.01.10)


トンネルが未完の区域では上り有り、下り有りの大小の峠をいくつか超えることになる。
山中は日が暮れるのも一段と早い。足湯で時間を喰った為、直ぐに前照灯を「大」にして一路五條市に向かって慎重にハンドルを握った。


月明かりが有ったか無かったのか記憶に無いが、仮に有ったとしても深い木立に覆われている山中の道なので、十二分に機能しないであろう。場所によっては前照灯を UP に操作したりしながら、とにかく崖に突っ込まないようにだけは必死に注意してアクセルを緩急に踏んで前進させる。


生きて来て自動車を運転して来てこれほど慎重に必死に前方に注意して走行したのは初めてでは無かったのではなかろうか!
そしておいおい気付いていたことであるが、若い時に比べると今格段に前方の視界領域が見えにくいということにいやがうえにも気づかされたということである。昔は前照灯が無くても良く見えて走行可能で有ったと自認しているが、今は真逆の状況である。


写真④ 十津川村・谷瀬の吊り橋(写真はネットからお借りしました)


ここで、もう潔く「いつまでも若くないのだ、精神力だけは自信過剰であっても肉体の老化だけは確実に低下している」ということをはっきりと認識して生活態度をそれに切り替えて順応させないといけない!と、決断することを決心した。それだけでも今回の R168 ルートを選定したことに褒美を与えよう!


前方を走行しているワンボックスカーを捉えた。取り合えずはこの車に離されないように必死に喰らいついていこうと決心して、慎重に車間を保ってアクセルを踏んだ。
この車間で有れば前方視認は問題ない。この車が谷底に突っ込まない限り安全を保てる。
「闇夜に提灯」とはこのことだ!


すると4~5 km ほど伴走を続けていたところ、前方の車が少し広い場所で路肩に寄って窓から手を出して「お先にどうぞ!」と合図をしてくれた。
しつこく後を離されまいと喰らいついて必死になって走っていたのであるが、追い越して先に走りたいのではないか!と思って道を譲ってくれることになったようである。



写真⑤ 「大峯奥駈道」修験の道です。十津川村内には多くのその修験場所が存在する.。
       (写真はネットからの借用です)


下車して飛んで行って事情を説明した。
「どうぞこのまま先に走行して頂きたい。迷惑かも知れないが後続でついて走りたい、その理由は、、、」と説明を加えた。
ワンボックスカーのドライバーは 30 歳位で眼鏡も装着していない。視力は勿論良いのであろう。車内にはほかに 2 , 3 名が同乗していた。作業現場から本日の仕事を終えて五條市方面に向かうのであろうことは自明の理で有る。彼はハンドルを握った手を上げて快く了解してくれた。


おかげ様で必死になって彼の車の後をついて走り、無事に五條市内にたどり着いたのである。字状の交差点で AYU は右に、彼の車は和歌山方向の左に向かうようで有った。
お礼の手を振ったが AYU の目では彼の笑顔が確認できなかったが、30 歳位であろう彼の目には  AYU の挙手は明確に届いていると思っている。


こうして明るい街中走行で無事に大阪・高槻に舞い戻って来た。


身内を始め多くのお方との出会いやふれ合いそしてお助けもいただいた。
熊野権現様のご加護にも深く感謝申し上げ、今回の旅日記の締めとさせて頂きます。


                                             (おわり)


写真⑥ 久しぶりに安威川右岸を歩き、この「西河原新橋」を渡って帰路である左岸に向
              かいました(24.01.19)