「ねぎらいと、お礼の言葉」を発することで、心の中の秘かな「勝ち」につながるの巻き
2023年 3月19日(日) kumanoayu
写真① いち早く春を告げるという花/ボケ(木爪) 高槻市内で。
昨日土曜日は曇りのち小雨、本日の日曜日は晴天の初春であった。
大きなゴミ回収用袋を持って不法投棄された各種ゴミ類を回収しながら、安威川上流から下流に向かって散策歩行をしていると、後方からジョギングしてくるお方から追い越しざまに「ありがとうございます」と労いの言葉を掛けて頂くことが、まれにある。
写真② 安威川散策歩行スタート地点/太田中学校付近から上流側を望みます。
(23.03.19 写す)
同年代のようなおっちゃんの時もあれば、女性からの時もある。女性からは同年代風の年輩のお方からでなく、比較的若い感じの、そう20歳から30歳くらいで有ろうかと思われる。ジョギングしながらすれ違うので、瞬時の間で有るからこちらも慌てて「どういたしまして、ありがとうございます」と答礼する。
こちらと同年代の年輩らしき女性はジョギングしていない。どちらかというと基本は歩き、良くて早足歩行程度である。私も基本は歩きである。それほど早くはない。1kmおよそ15分のペースである。
写真③ 紅梅(茨木市/沢良宜公園にて写す)
お礼を頂戴したくて不法投棄された各種ゴミ類を回収しているつもりではないけれど、労いの言葉をお掛けいただけるということは、相手に対する思いやりの気持ちの表れのひとつと思う。気配りの出来る人、人としての粋な気遣いの出来る人、人としての佇まいの備わった人、出来る人と、表現できるのではないでしょうか!
写真④ 白梅(茨木市/沢良宜公園にて写す)
私も先輩ボランテイアであるAさん、Bさんにお会いすると、すかさず相手より先に「労いと、お礼の言葉」を発することをモットーにしている。それが実行出来ると私の心の中の秘かな「勝ち」につながるのである。
(おわり)
お断り:この文中の写真④の上に向かっての3行目に「粋な気遣いの出来る人、人としての佇まいの備わった人、出来る人と、表現できるのではないでしょうか!」の件が有りますが、この中の『粋な気遣い』、『人としての佇まい』のセンテンス(sentence)は、文筆家である大平一枝さんの金曜エッセイ / 第12話「おあとがよろしいようでの本当の意味」という素敵な作品の文中で使用されています。このフレーズを使わせていただいています。お許しいただきたく。
◆ 参考までにその文章の箇所を下記に貼り付けさせて頂きます。
ところで、ある男性アナウンサーが、後にライバル局のアナウンサーとなる男性と、学
生時代にテレビ局の就職試験の待合室で隣あった時の話をしていた。
「対抗心で、ひとことも口をきかずじっと待っていた。ところが、先に彼が面接に呼ばれ
ると、穏やかに微笑み “お先に” と言われた。ああなんて大人なんだろう、その瞬間に彼に
負けたと思った」と語っていた。結果、彼が受かり、当人は別の局アナに。
お先に。おあおとがよろしいようで。皆さんお静かに。どれも私は忘れていたなあ。それ
どころか、扉を次の人のために開けておく所作さえ、したりしなかったりである。
粋な気遣いは、一朝一夕では身につくまい。でも、心に留めておくか否かで、人としての
佇まいは変わるような気がしている。
大平 一枝(おおだいら・かずえ)
文筆家。長野県生まれ。日本福祉大学女子短期大学部(1996年廃止)卒。
編集プロダクション宮下徳延事務所を経て、1995年ライターとして独立。
失われつつあるが失ってはいけない価値観、および大量生産・大量消費の対岸で生きる人々のライフスタイルや人物ルポを中心に各紙誌に執筆。
写真⑤ スイセン(ヒガンバナ科)高槻市内田畑のある地区で写す。
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