友人が悪を言った緑茶よりも“わき冷ましのお湯水”のその後についての巻き

2023年5月25日(木)    kumanoayu


写真① 快晴の安威川散策修養、水量もたっぷりと多く流れていて本来の川の姿のような気
              がして眺めているだけで爽快感を得られています。(23.05.24 写す)


 去る五月初旬、私よりも数歳は若いであろう友人と山菜取りに行った時のことである。
山菜取りも二人に共通の趣味なら、ここの近くに美味しい昼食ランチが食べられる和洋レストランがあって、其処に立ち寄るのも二人に共通した楽しみのひとつであった。どちらかと言うと前者よりも後者の方が食い意地の張った“老年おじん”二人の優先事項であったかも知れなかったのである。


出発前に持参した市販の「PETボトル入り緑茶」を飲んでいたところ、「それよりも “ わき冷ましのお湯水 ” が身体に良いのである」と言って、緑茶を飲んでいる私の横で、緑茶を批判しながら、持参のその「わき冷まし」の入ったボトルを取り出して、あたかもこれ見よがしにゴクリ、ゴクリとさもおいしそうに飲み始めた。
私が持っているボトルを何となく批判的な視線でにらんでいる様に見えた。
一方で飲む行為に集中しながら、もう一方では視線に気を配分するという神経は
む、む お主出来るな!💦💦💦


写真② 先日久し振りに「大阪市役所」の横を歩きました。やや曇天(23.05.23 写す)


山の中に分け入って2時間程で目的の山菜取り活動の戦果を挙げて引き上げて来た。さあお楽しみの昼食と思っていた矢先に、その相棒が体調が思わしくない、気分がすぐれないと言い出した。挙句の果てに「とてもではないが食事出来る気分ではない」と言い出したではないか!


私の愛飲していた「緑茶」を一方的に批判しておきながら、自画自賛の “ わき冷ましのお湯水 ” の効用はどうしたのでしょうか!
気の毒に思いつつも私は心の中で勝したと勝ちを確信した。


結局その日はつらい思いをしている彼にお付き合いして私は軽食で済ますことに相成った。その間彼は薫風を身に受けて木陰で横になって回復を求めることとなった。
「お水」の効用もさることながら、お互い年令(歳)には勝てない、分相応に、歳のことを認識して、いつまでも昔の若いままではないということを、常に朝晩これを認識して行動しないといけないと思った。


写真③ 庭の隅に勝手に育った「カタバミの花」 (23.05.10)


それから数日経ったある日のこと、何気なく民間テレビ局で無いところのテレビ放送を視聴していたら、その “ わき冷ましのお湯水 ” の効用について、著名な健康医療分野のお偉い先生が「優」の評価を滔々とお話されているではないか! 信じる、信じないはそれぞれ個人個人の見解があるであろうが、お偉いお方の論評はそれはそれなりに「学問」を究めて来たお方のお説であるから一個人の並みの人間様の言うことよりも、確率的には軍配を挙げることになる。
それから緑茶も愛飲しているけれど、“ わき冷ましのお湯水 ” も多用するように生活にプラスしてみたのです。
なんと、“ 信じる者は救われる ”  その効用であろうと思われるのですが、体調が向上してきていることが実感できているのです。


お楽しみランチにありつけなかったあの友人は今どうしてるかな!
ごきげん伺いの電話でも差し上げてみようかな!
                                             (おわり)