ゴミ拾いをして自責の念?に駆られることが有るの巻き

2022年11月 8日(火) (21)   kumanoayu


写真① 京都・建仁寺塔頭正伝永源院にて


ゴミが投棄されやすい名物の「西河原橋」にて覚悟を決める行動
 昨日は意を決して尚且つ散歩の時間が阻害されることも気にしないことにして、「西河原橋下」のゴミの溜まり場名所でビールの空き缶40缶ほどを中心に、雑多のゴミを回収した。その数は2袋に及んだ。管轄大阪府の河床から茨木市の管轄する遊歩道端に当たる堤防天端の表法面、もっと通常の表現に置き換えると、遊歩道から堤防の車道に上る階段が有るが、その2袋をそこに残置した。
本当は最後まできちんと面倒を見なければならないので有るが、あと8kmほど歩きのノルマが残っている。汚いゴミの入った袋を下げて歩くのは情けない話であるが、対抗者とすれ違ったりするとき何となく気恥しい。


写真② 西河原橋 この下に沢山のゴミ類が漂着します。ゴミの名所!?


 「私はゴミ拾いをして河川の美化に努めていますよ!」、「あなたもどうですか!」 とこれ見よがしにアピールしている様に受け取られはしないだろうか? 嫌味に見られはしないだろうか? という気持ちが先走るからである。
それゆえ行動の時は極力周辺に他人がいない環境下で実行することにしている。
休憩用のベンチの下には相変わらずタバコの吸い殻のポイ捨てが多い。
しかし誰かがそのベンチで休憩中であれば接近しないで、残念な気持ちでは有るがそこを見過ごして遠ざかることにしている。
もしもこれが2人もしくはそれ以上の複数人で行動するのであれば、はてはシルバー求人に応募してなにがしかの報酬を頂戴して、公の任務として労働するのであれば、自分の場合だったら、錦の御旗を授けて頂いたようなもので、それはもう堂々と誰に遠慮するでもなく気恥しさを通り越して、通常のジョギング人や散歩人を押しのけてでも、堂々とゴミ集めの行動をすることはやぶさかではないであろうと確信する。

写真③ 山形城外堀付近で。


「ええかっこしい」と思われるのが、やはり嫌なのである。
ところが同様に単独で私と同様に黙々とゴミを集めておられる御仁に時々出くわすことがある。その方は私の抱く「ええかっこしいと思われるのではないか!」と言うような姑息に近い感じや素振りなど一切感じ取ることなく、黙々とそして自然体で堂々と行動されている様に見受けられる。
私もこうなりたい、修行が足りないのかとも思う。しかし良く考えてみると誰も他人の行動を見て「あいつ、ええかっこしいやなあ!」などと思っているほど暇な人はいないのではないか!自分で勝手に判断しているのではないか!
とも思う。もっと堂々と信念に基づいて行動すれば良いのにと思うことも有るが、ゴミひとつでこんなにふらふらしているようでは、自分も大したことはないなあと自責の念に駆られることになるのである。
そして私は必ず「こんにちは、ご苦労様です。ありがとうございます。私も恥ずかしながら、同様に一人ボランテイアでやっています」と挨拶する。
そしてこのお方のように「自然体で堂々と行動する」ようになりたいと思うのである。


写真④ 紅葉真っ盛りです。


(あとがき)
冒頭の文章で昨日7日(月)に「遊歩道から堤防の車道に上る階段が有るが、その2袋をそこに残置した」と報告させて頂きましたが、8日(火)通過してその場所をみましたら、2袋は撤収されて有りませんでした。どなた様かのボランテイアのお方が回収して下さったものと思います。
私がそれ以上のことを実行出来なかったことをリカバリーして下さったのです。そういえば今日の遊歩道は比較的にゴミ類は目立つほど無くとても綺麗に感じました。早朝のボランテイアのお方達のお蔭かと思います。感謝申しあげます。            
                              (おわり)