プロ野球の話がayu の引っ越しやら仕事の話と混線してしまっているの巻き

(その1)


2023年10月30日(月)   kumanoayu 


写真① 背丈だけがひょろひょろとキリンさんのように上に上に伸びて来て、もう引っこ抜
      いてしまおうと思っていた矢先に殺気を感じたのか、何とか頑張ってきれいに咲い
    てくれています。「感動した!」養生中のお花畑です。(23.10.30)


 プロ野球もペナントレースが終わり、クライマックス戦を経て、いよいよ日本一を決める最後の大舞台に突入した。
関西チーム同士の戦いは関西に住んでいる ayu としても興味を持って、静かにそして熱く応援しなければならない。


昔からセ・リーグを中心に応援して来たので、パ・リーグにはどこが勝とうが、優勝しょうがそれほど興味がなかった。と言ってしまえば熱烈なパ・リーグフアンのお方達様には申し訳ないのですが、これは今になって始まったことでは無いのです。


写真② 近隣の畠では「オクラ」が「背高ノッポ」で上に上に伸びています。(23.10.30)


令和の今を遡ること云十年も前の昭和 30 年頃の話にタイムスリップして頂くことになります。
歳上の兄が熱烈な東京・巨人軍のフアンであったことの影響で、知らず知らずのうちにayu も気がついたときは巨人軍の応援をすることになっていたのでした。後に監督を務められ立派な成績を遺された川上哲治一塁手を応援していたのです。


当然と申しますかテレビなどは普及していない時代で、仮に有ったとしても村一番のお金持ちのお家くらいだったのです。しかし周囲が海抜 500~600 mの山々にぐるっと囲まれたすり鉢の底のような在所でしたから、受信状況が当然のように良く無くていわゆる「雨が降るような画像」であったということを鮮明に憶えています。


写真③ 安威川散策スタート地点の案内盤が設置されています。ここは小学校に近いところ
              です。ayu は普段はここから約500m 下流の中学校横から散策を開始しています。
    2枚目 同地点から下流方向を望みます。 (23.10.30)


時代は大きく移り、生活の基盤が大阪中心になっていた。勤務先の転勤などで金沢でも 20年弱生活をしていたことが有る。関西では考えられないようなそこそこ大きな家を購入して庭に芝を植え、一丁前にマイホーム生活を楽しんでいたことも有る。大阪と地方の土地価格の差がもたらしてくれた戦果と言えよう。


金沢と言っても仕事のビジネス活動では全国区担当で、中でも東京へ出張しての仕事が比較的多かったような気がする。
銀座・歌舞伎座の近く、田町、飯田橋、市ヶ谷、品川、王子、赤羽、赤坂見附等は取引先様の関係で良く訪問した土地である。


写真④ 下流に向かうと名神高速道路橋を通過します。左が名古屋方向です。(23.10.30)


泊は安宿を求めて五反田(戸越銀座)、上野界隈、東陽町、あたりで良くお世話になったことを懐かしく思い出す。
大阪弁は何となく損をすると思い、結構スピーデイにすんなりと東京ことばを真似るようになっていたことを懐かしく思い出す。


話をプロ野球の話題に戻さないと日が暮れそうである。
王貞治選手の活躍時代は巨人・阪神戦と言えば勿論まだ巨人軍を応援していたのである。


写真⑤ 散策では阪急電車・京都線の鉄橋下を通過します。(23.10.30)


時代は更に大きく経過することになる。金沢の生活から大阪に基盤が移ることになり、金沢時代のような、そこそこ大きな家は望むべくも無かったのですが、またまた嫌な嫌な住宅ローンを組んで、天下のみずほ銀行さんのお世話になって現代の大阪府高槻市内にまあ永住となるでしょうか!


阪神淡路大震災の半年前に西宮市から引っ越しをして来た早や 28 年が経過します。
みずほの宝くじでも当たった日にはどうなるか分からんけども、当たる例もないし、お陰様でこの家の住宅ローンもとっくの昔に消えてくれたので、ウサギ小屋されどウサギ小屋の堂々たる“あるじ様”なのです。


(その1 おわり)


写真⑥「セイタカアワダチソウ」が嫌われ者ですが頑張っています。川面に映えます。
            安威川左岸R171 の橋を見ながら上流方向に向かって写す(23.10.30)