打算的な行為かどうなのか真剣に考えるの巻き

 甥っ子からの年末ギフトに悩む日々


                              2022年11月22日(火)   kumanoayu


写真① 高槻市郊外にて


甥っ子からの年末ギフトに悩む日々
 毎年この時期になると少し贅沢な悩ましい思いが小さな脳裏をかけめぐることに遭遇する。
今はすでに亡くなった実姉の子供である甥っ子のTくんがこの年老いた後期高齢者の叔父のことを気遣ってくれて、恒例の年末ギフトを贈ってくれるのだ。
それはそれで大層有りがたく嬉しいことで感謝感激一入のことなのである。
しかし、いやらしい話を披露することになって申し訳ない次第なのですが、ギフトの中味はここ数年「能登半島輪島地区産・お魚の一夜干し/真空パック品」なので有る。鯛にヒラメに、ほっけ、紅鮭、あじ、かれい、姫鱈、等々、たくさん入っていて魚好きの私には何よりの賜わりものになるのです。


写真② 京都・高台寺庭園


 ところが近年つくづく感じることは、お魚を焼きます。煙が出るので換気扇を回します。とはいえ多少の時間は部屋の中に香りが残ります。
そして最後はグリルの中の魚焼き器具の掃除です。年々歳を重ねるとともに、このお魚を焼くという行為が段々億劫に感じるようになってきたことです。


 みかんの皮むきはOK、バナナのそれもOK、柿の皮むきもOK、リンゴの皮むきもOK、柿もりんごも皮を剝くのが面倒になって来て、今は皮はそのままにして食べている。本来の味覚でGood!ですよ!昔は木に登っておやつ代わりにそのままあるがままの状態でむしゃむしゃと食べていたのです。

 ついでに横道にそれますが、キウイフルーツのこと、これは皮ごと丸かじりは原則に反することでしょうから、簡易皮むき器を使います。ところが時々カッタ刃が途中で引っ掛かって最後のところまで到達しないことが有ったり、小さな製品の商標ラベルに引っかかったりするので少し嫌です。このラベルも嫌なら嫌で事前に剥がしておけばいいのに、簡単なことだけれど面倒くさいので即、皮むき作業に入るのです。毎回このことの闘いを繰り返しています。我ながら進歩が無いなあと思いますが、簡単には道理に従わない抵抗心が有るから、ボケ防止にはよろしいのではないでしょうか!
こんなことを言っているようでは安威川の観音様から「修行が足りん!」と言われるかも知れません。


 このことを考えたとき、心優しいおじさん想いの甥っ子に「お魚やめてくれる!」などととても言い出せません。しかし何とかもっと予算を押さえてミカンでもりんごでもとアピールしたい悩ましい日々を悶々と送っている今日この頃です。
「宅配便です」とブザーが鳴ると飛び上がってしまうかも知れません。


写真③ 京都の秋


打算的な行為かどうなのか真剣に考える
 近年は私の食べる分の台所仕事は99%自分の分は自分で準備しています。
賢夫人である私の嫁はいつの頃からか勝手になんの協定も無く一切手出ししないことになっています。
但し後片付けである御皿洗い、件の魚焼き器具の掃除などは元来綺麗好きなので徹底的にこれでもかと言うほど綺麗に処理してくれています。


準備はしないが、後片付けはするという構図になっています。
役割分担の美しい棲み分け?とでも申しますか、私も若い頃は何年か単身赴任で水回りの経験がないでもありません。むしろいつ別れても一人でやっていけるぞ!という変な自身もついているのです。幸か不幸かこの権利はまだ実行していませんけれど、、
しかし良く考えてみると嫁が私の調理した後片付けをしてくれるということは、その後でおのれが使う段になって中途半端に私が後片付けをしていたら気に入らないから、自分で徹底的にやっておくという合理的な打算に基づいていて、私の負担を軽減してあげようというような美談ではないということでしょうか!


写真④ 京都・東福寺


 今日もまたこんなことを書きなぐっているようでは、「安威川散策で精神修養」まだまだ修養が足らないなあ、と自分でも反復しているのです。 
救いようのない仔羊か?                 (おわり)


写真⑤ 左側が高槻市役所 / けやき大通リ道路にて













                                                                                       


写真④ 高槻市役所・東側