安威川を離れて『覆水盆に返らず』 街中生活について考えるの巻

年末が近づくと散髪屋さんに行くことが気になります。


2022年12月20日(火)  42 kumanoayu


写真① 高槻赤十字病院、久しぶりにノックしました。ここでもご多聞に洩れず、手前にあ
               る大きな池に外来生物が飛来して湖面が見えなくなるほど繁殖しています。


 毎年、年末が近づくと散髪のことが気にかかる。都会人のお方はどのようにとらえておられるのか深くその心中を知る由もないのであるが、今は関西での生活が人生の半分は大阪人。特に東京人の前では意地でも断然大阪人なのである。田舎育ちのこととて子供の頃の年末は当然来るべき正月に備えて「早めに散髪する」ことが絶対条件のようになっていたのです。


思えば長い人生のなかで散髪屋さんには凡そ1か月に1度はお世話になっていることになる。お店にもよるが昔は結構7~8名のスタッフを擁するお店が多かったが、今はそこそこ
1人のお店が多くなったような気がする。
1人と言っても奥さんか、はたまた大将のお母さんが補助的に手伝っておられる家庭的な雰囲気なのである。大人の調髪料金はおよそ4000~5000円前後、それと最近は安い料金のお店も増えた。これが規模にもよるが大々的に多くの店舗を有して展開されている店も増えている。私は「シルバー割引」を適用してもらって約1500円程度である。昔は7~8名のスタッフを擁するお店を利用していたが、引っ越しやら何やかやで住む環境が変わったことによって、その様な多くのスタッフを抱えたお店が目に入らなくなって来て、たいていは1人大将のお店を利用することになっていた。


写真② 「冬桜」高槻市・今城塚古墳公園にて


7~8名のスタッフのお店の時はその時の順番によって対応してくれるスタッフがその都度変わることになる。指名制ではないのでその時の順番に基づいてスタッフが対応するのである。前回はあのスタッフさんが良かったので、今回もそのスタッフさんがあたるといいなと思っていても、大抵は宝くじと同じようなもので、心で思っていてもそうそう関単にそのスタッフさんに巡りあうということは無い。世の中の無常を感じるのである。
待っている間に自分の番が廻ってきたら、あのスタッフさんだという読みが可能になってくる。指折り数えて「しめしめ今日の順番はお気に入りのスタッフさんの巡りになるぞ」と思って待っていたら、いざその時になってそのスタッフさんが休憩の都合であったのか、裏に引っ込んでしまったではないか!そして担当のスタッフさんはこのお店で一番当たって欲しくないうちの一人で有ることが多い。最悪である。期待して今日はラッキーと思っていただけに、その期待を裏切られたと言うガッカリ感は半端でないほどで、逃げ出したくなるほどである。


写真③「枯葉ちり初冬の空に柿残る ayu 」 高槻市・上の池公園にて


 散髪が無事に終わるとその件のスタッフさんが横長の鏡を持って来て、終わったばかりの後頭部を中心に映しながら「いかがでございますか?」と丁重に聞いてくれる。しかし結果が気に入ろうが、気に入らまいが、髪の毛はカットされてしまった後なのである。「気に入らないからもっとここを長めにして下さい」と言いたくても、仮に“プロポーザル”したとしても、時すでに遅し、切られてしまった髪は元に戻らないのである。(覆水盆に返らず)
次回の散髪時期が来るまで憂鬱な1カ月を覚悟しなければならない。


ところが近年は一人親方のお店に行くことが多くなったので、その心配と言うか、その悩みは無くなった。もし気に入らなければ別のお店にチエンジすれば良いだけの話である。
新しく訪れたお店の親父さんが私と同県の出身者だと分かり、フレンドリーな話がはずみ、毎月訪れて何度かお世話になったが、そのうち気になることが有って、チエンジすることを余儀なくされた。
そこは髭剃りに際しては昔ながらの「1枚刃ストレート剃刀」を使用している。使用に先立っては切れ味を良くするため、直前に使用した時の汚れなどをそぎ落とすために「研ぎ用革砥ベルト」で2度3度往復させて、あたかもよく切れますよと言わんばかりにアピールしているようである。こちらはまな板の上の鯉みたいなものでクッションの良く効いたリクライニングの椅子で金縛りにあったようなものである。やり手婆あに捕まって包丁で料理されるのではないかと言う嫌な気味悪さを連想さえしてしまう。下手に動いて運悪くカミソリで大事な顔を切られたらえらいことで有る。


写真④ 芥川から下流方向はるか向こうに高槻駅前の大きなビル


一方他のお店では「安全カミソリ」と言われている類いの道具を使用するところが多くなっている。切れ味は多少落ちるがまかり間違っても人様の大事な顔を切るというリスクは機能上から回避できるので「安全」で事故につながることが無いであろう。それは経験や修練を積まなくても比較的容易に使用できるという利点からで有ると思われる。


そして有る時はっと我に返って恐ろしい考えが頭をよぎったのである。
ここの親父さんはどう見ても私よりかなり先輩で、高齢であろうか!
もしも私の首に「研ぎ用革砥ベルト」で切れ味抜群にメンテ‘した「1枚刃ストレート剃刀」を私の首にあてて作業しているまさにその時に、その私よりも高齢であろうおやじさんの体調に異変が生じてふらふらと目眩でもして手もとが狂ったら一体どうなるであろうか! 「椿三十郎の映画」ではないが咽喉から血が吹き上がるかも知れない。ということを予見したのである。
同県人のおじさんには他意は無いが(あるのかしら?)次から足が遠のいた。
数か月後にその店の前を伏し目がちに通過したが、伏し目がちする必要がなくなっていた。「閉店」していたのである。
私が原因ではない。自然の流れなのだと自分に言い聞かせながら通過した。
                            (おわり)


写真⑤ 緑樹に西日光射す(高槻市・上の池公園にて)