能登半島地震被災者の後輩U君から「一歩一歩前進気長に頑張る」とレターをいただきエールを送る AYU の巻き

2024年02月29日(木)   kumanoayu 


写真 ① 22年8月に訪問した時の輪島「白米千枚田」 AYU 写す。


 令和6年能登半島地震で被災した輪島市内在住・高校同窓会級下の君から便りが届いた。
当時、緊急に会議を持ちどんな形で支援をさせていただこうかと考えた結果、足元もおぼつかない後期高齢者が現地に入るということは万端の事情からも動きが取れないうえ、足手まといになることは必定、後方からの支援活動をということで、在阪のクラス関係者が中心になって義援金を募り「緊急お見舞い」として振込送金させていただいていたのであった。


写真② 安威川散策スタート地点はこの名神高速道路の下のトンネルを通過します。
     (24.02.28)


彼は現役で農業法人の代表者として少子高齢化が進む現地の過疎地域で農業ができなくなり、だんだんと農地が荒れていく現状を、農地を守りおいしい米を生産して地域と社会に貢献し 食べてもらう人に喜んで貰いたいと願って、およそヘクタールの田んぼで稲作を行っている。
(1ヘクタール=10,000m×10,000m)


家屋、蔵、が壊れ納屋が土台から外れたと聞いている。「輪島の朝市」全焼の場所からは「町野川」沿いに上流方向に約 20 km ほど入り込んだところである。
M7,6 の震源地からは 10 km のところで有るという。


写真③ 安威川散策開始約1km 通過地点。鉄塔と青空、好きな景色です。(24.02.28)


今は自分の法人会社の「ライスセンター」建物で避難生活。
日から携帯電話、23 日から電気と道路が利用可能、水道は 月 13 日から通水。
自宅の片付けは後回しで稲作の作付準備を行っているという。国民の食糧をになってくれているのである。


復旧には5年~10年はかかるであろうと言われているが、「一歩一歩前進するしかない、気長に頑張ります」と結ばれていた。
AYU も必死になって「お米」を食べさせてもらうことを既に決意したばかりである。がんばってや!U 君。
                                           (おわり)


写真④ 寒い感じでしたが太陽照射率90%。
    子供は風の子というよりも「水温む」という感じでした(24..02.28)


写真⑤ 安威川左岸天端堤防道路から、下流方向はるか彼方に石切山脈を望む。
    山の向こうは奈良県です(24.02.28)