きれいな環境と汚い環境では、いとも簡単に善人の心が悪者の心に変わってしまうのではないかと考えるの巻き

その(2) 孟母三遷の教えが心を過ぎります。


2023年2月10日(金)     kumanoayu
 

写真① 雪の釧路市内にて(季節感あふれる風景としてご鑑賞下さいー with coffee  )


   遠くの住宅街の住民が自転車でここを良く通過することが散見された。
なんぼ汚れていてもこの場所は通過するだけの道路であるので、汚れなど日常茶飯事みたいな感覚であろうか、特段に気にもならないようである。驚きもしないで通過している。『そんな他人様のことをいちいち気にしていたら生きていかれしませんぜ!』という「我関せず」の心境であろうか!
これは確かに言い得て妙なるお言葉であろう。ですがですよ、「ほったらかしにしといたら段々と悪の巣窟になりかねませんよ!」と言う言葉も有る。


写真② 除去した雑草と不法投棄されたゴミ類の山


周囲は田畑と学校の校舎が有り、毎日小学生、中学生が朝晩登下校に利用する。
「このままではゴミ捨て、投げ込みの悪さを助長するようなものだ」と発起して清掃奉仕を始めている。私としては最終的には大きさも手ごろなので綺麗な植栽をと考えていたが、自治体としては、「ここの環境と似て非なる場所が沢山あって清掃や草取り管理に手が回りきらないので防草シートで目かくしする予定である」とのこと。残念な話であったが方針に逆らうわけにはいかない。


写真③ 雑草類除去作業中です。


個人の私もいつ倒れるかも知れない歳なので、いつまで綺麗に管理できるという保証はない。このような場合は地元の町内会、老人会などの団体が名乗りを上げれば管理の持続性が担保されるので、自治体の立場としても街中が殺風景な防草シートよりも花いっぱいの小公園の方が良いに決まっているのではなかろうかと思う。
軽自動車一杯分相当の除去した雑草、瓦礫、等の廃棄ゴミ類があっという間に除去され、その後には防草シートが綺麗に施され見違えるようにきれいな環境に変化した。まるで悪の巣窟が一掃され健全な姿に majical 的変化を遂げたように思えてならなかった。 
“つわものどもが夢のあと”                                                                                 (おわり)


写真④ 自治体のお力で除去した雑草、ゴミ類が撤収され、その跡地に「防草シート」が施
               され、『臭い物に蓋をする』的な感覚で少し寂しい気持ちがしますが、これはこれ
    で一つの解決策として、静かに容認するしかないので有りましょう!見違えるよう
    にきれいな環境になりました。