小銭入れを忘れて外出し喉が渇いて湧き水を探し回る哀れな AYU の巻き

2024年04月14日(日)   kumanoayu 


写真 ① 今日は2日振りに安威川散策にやって来た。快晴では無かったが曇天と言う訳で
                  も無かった。左岸から振り返って上流方向を見る。(24.04.13)


 桜開花本番の時は雨が続き、一晩中突風が吹き荒れて生憎と思っていたが、その後は快晴とはいえないが曇天もしく花曇りが続いて、中に晴天が混じりこんで、まあまあの「お花見」を堪能した感じがする。


昨日あたりは早や散り初めで時折吹く風に乗って花びらがひらひらと舞い散る。たちまちのうちに、すでに舞い落ちた花びらに混じって重なるさまは分厚いじゅうたんを見るようであった。


昨日の散策は背中に飲み物を入れたリュックを背負わなかった代わりに道中の自販機利用を念頭に於いて、小銭入れをポケットに忍ばせて外出した。


写真② 道中で喉が渇いてきたので自販機で缶コーヒーを購入した。空き缶が発生したが、
    いつものリュックは背中に無く手で持って歩くしかない状況で有る。藪の中か用水
    の中に「ポイ捨て」したくなる「不法投棄」犯罪者の気持ちが痛切に理解出来そう
    だ。「たかだか空き缶一個ではないかい、なんの悪影響があんのんじゃ! ええや
    んけ!」


    いつもは拾って回収する立場で有って、ポイ捨てする「不法投棄犯罪者」を「怪し
    からん!」と怒りをあらわにしているが、今こうして逆の立場に立ってみると、捨
    てる人の気持ちが良く分かるような気がする。 


    所詮人間は勝手な生き物でんなあ!


    リュックとかゴミ入れ袋とか持参していれば「ポイ捨て不法投棄」の悪魔の誘惑は
    無いのんと違うやろうか! (24.04,12)


小銭入れを持っていない時は少々喉が渇いても、自販機で買うお金を持っていないということが分かっているので、我慢しなければならない。
「今は格別喉の渇きは有りません」とまじないを掛けながら散策を継続しなければならない。


普段小銭入れを持参している時は「いつでも買うことが出来る」という安堵感が有るので、少々喉が渇いて来ても「まだ大丈夫、まだべつじょう(別常)ないわい!」と自己暗示をかけながら散策を続けている自分を認識する。


特別ハードに行動していても安堵感と心に余裕が出来ているのかどうかよう知らんけど、特別喉の飢えを感じないことが多いのかも知れない。


写真③ 安威川右岸から下流方向に「西河原新橋」を見る。右岸の天端土手には「八重桜」
    が「此処を先途」と満開である(24.04.13)


しかし持参していない時はその日に限って喉の渇きが発生してきて、どこかそのあたりに「湧き水」でもあらへんか!と思って焦ることが有る。


たかが1時間か2時間辛抱すればいいのであるが、「なんで小銭入れを持って出んかったんや!軽いもんやないか!」と後悔しきりである。


所持しているか、所持していないかで、こないにも気持ちがふらつくということは肉体的欲求では無く心理的欲求なのかも知れない。元来気持ちが優しい人に現れる傾向なのかも知れないと、いいように解釈したりして!


あほう!軽いんやったら小銭入れくらい忘れんともっていなんかい!


                                (おわり)


写真④ 安威川左岸にて下流方向を見る「多目的広場」のグランドも緑緑して来ている。
    (24.04.13)

写真⑤ 安威川右岸天端土手の桜並木は「八重桜」が多く今を盛りに咲いている。
    (24.04.13)