観音菩薩様の罰が当たったのではなかったかの巻き

しかし西国三十三所観音霊場お参りは「満願」成就となりました。


2022年12月 2日(金)       kumanoayu


写真① 姫路城の見事な美しさに圧倒されました。
    書写山・円教寺さんお参りの帰途立ち寄りました。(22.12.02 写す)


 和歌山県の松林寺と根来寺お参りの夢が叶いました。この秋にはもうひとつお寺さん参りの夢と言いますか計画があったのです。それも今年の秋のうちに実行したいと思っていました。なんといっても行動するには湿度も少なくなって涼しい快適環境であることが挙げられます。天候を見て12月2日(金)実行することに決めました。
目的地は兵庫県姫路市「書写山・円教寺」へのお参りです。金曜日なので家の生ごみを最寄りのゴミ出し場所に運んだ後に出発です。片道約120kmなので往復で約250kmほど走行しました。秋らしい雲3割、青空7割、気温は12℃くらい、風は殆ど感じられることなく快適な行動日和でした。


写真② 円教寺さん駐車場の近くにて、晴天の青空がすがすがしい気持ちに
    させてくれました。


 西国三十三所観音霊場巡礼を実践していて、これまでに三十二カ寺をお参り済みとなっていましたが、この円教寺さんだけがお参り出来ていなかったのです。
4年ほど前にもそのつもりで出向いたのですが、ふもとの駐車場がどこもかしこも満杯で、あきらめて出戻って来たのです。その時から既に4年間、その間何をしとったんか!と言われても特別な理由があったわけでは有りません。
もともと巡礼に関心を持ち始めたのが今からおよそ50年ほど前の1970年頃だったと思います。当時はまだ健在であった母が三十三所巡礼を実践していました。最終的にこの巡礼・満願を都合2回実践しています。母の場合は行動は電車、バス、自分の足で歩く、お寺さんは大半は山の上とか、交通的には人里離れた辺鄙な場所に存在すると言っても過言では有りません。バス停が有りと言っても山のふもとにあるのが大半ですから、そこから徒歩でとなると、1時間、2時間を要することはザラに有ります。バスの便も本数が沢山あるわけで有りません。今では事前に電話やネットで詳しい調査をしてスケジュールの調整などが可能ですが、当時の母は基本的にその様なことは不可能な時代ですから、新聞などの特集案内などで情報を集め、あとは推定で時間を予測して現地に赴きます。バス便があるかどうか、また所要時間はいかほどか、全て現地に出向いてからの成行きです。それはそれは大変なことだったと思います。
しかしさらなる大昔はこのような交通機関が有りませんから、すべて自身の足で歩くが基本でしたから、電車やバスがあるだけでも幸せだったと言えるのではないでしょうか!
こうした母の様子を垣間見るに付け、自分もいつかはと感化されていったようでした。


写真③ 書写山には徒歩では無く山上までロープウエーを利用しました。


 私はと言えば自動車を使用することが大半ですから、母の行動と比較するとそれはそれは申し訳ないほど楽なことと言わざるを得ません。
振り返ってみますと2010年(平成22年)にスタートしています。そしてその2ないし3年以内には大半のお寺さんへのお参りが完了していまして、残すところあと1か寺となっていまた。今にして思うとなにゆえに今日までかなりのブランクがあったのか、自分でも説明がつきませんが人間だれしもあと少しで達成となると、もう安心してしまって、反ってそれを楽しみながら時を過ごすと言う、いつでも出来るわい!という気持ちになってしまっていたのではなかったかと思われます。実は事実4年ほど前に「満願成就」を求めてこの「書写山・円教寺さん」にお参りに赴いたことが有ったのです。土用か日曜の休日でした。頃合いも今回と同じ秋の紅葉シーズンでした。でしたと言うよりか、実は書写山の紅葉も目当てのひとつだったのです。


写真④ ロープウエイの山上駅から約1kmほどは緩やかな上りを歩きます。


 現地に着いたまでは良かったのですが周辺の駐車場はどこもかしこも満杯状態でした。人間だれしも考えることは同じなのでしょうか≪失礼≫ 皆さんは平日はお仕事でしょうから休日を利用されていらっしゃるのでしょう!
「一兎を追うものは二兎を得ず」私のこのよこしまな考えは見事に観音様に見透かされて罰が当たったのかも知れません。
ここは潔く大阪に引き返すことにしました。


写真⑤ 円教寺の摩尼殿/岩山の中腹に建つ舞台造りの建物です。
    絵はやや傾斜がかっていますが、実際は垂直です。(カメラの腕が良くない)


 罰あたりの反省と安威川での不法投棄されたペットボトルや、樹脂製袋の類にタバコの吸い殻に空き缶などを回収して、利用されている多くの皆様に気分よく散策して頂けたらと言うささやかな気持ち、他人様のことより実は私自身が綺麗な所を大手を振って歩くのが一番気分が良いのです。投棄されているこれらのゴミ類が多いと気分が滅入ります。
ゴミ集めもしないで散策したり、運動広場でボールを蹴っている中年の男性を見かけると「お前もぼけーと遊んでいないでゴミ袋でも持って拾い集めてきれいにしたらどうなんや!」と心の中で叫んでみたいと思うのですが、叫ぼうか、叫ぶまいか、反芻することが有ります。

写真⑥ 参道で目に入ってくるご褒美


 仮に自分の行いが美徳のひとつと呼ばせてもらうとすれば、それは自分の心の内に納めて置くこと、他人様にどうのこうの求めるものでは無いと、きっちりと心に決めて1ミリたりともその様な他人様に八つ当たりするとか、あしざまに言うとかの気持ちは言語同断で有りましょう!
分かっていても、ついつい心の中で愚痴っている自分がいるときが有るのです。これでは修行が足りない。「満願」を契機としてその名に恥じない人間にならねばと思います。


写真⑦ 悪いものを見てしまった! 瀬戸内海方面の絶景を見ようとベンチの上に土足で上 
    っている中年と思しき gentleman 。崇高なお気持ちでお参りにこられてこれは無い
    でしょう!しかしほかにも中年のご夫婦が揃って踏み台の感覚で上っていました。
    お参りでは無くて観光気分で来られたのかも?


 少し脱線しますが「十善戒」と言って仏教における十悪(十不善業道)を否定形にして戒律としたもの(江戸時代後期の徳僧、慈雲尊者によって広く宣揚された)が有りますが、その中から私が特に戒めないといけないものを、下記させて頂きます。         
                      (引用参考文献/ 佛寶会発行・西国巡礼)


不悪口(ふあっく)  (悪口や人を傷つける言葉は言わない)
不両舌(ふりょうぜつ)(二枚舌を使わない)        
不邪見(ふじゃけん) (邪(よこしま)な見方をせず物の本質を見る) 
不瞋恚(ふしんに)  (瞋(いか)りを捨て許す人になる)  
                                    おわり

写真⑧ 姫路観光協会さんの啓発ポスターです。心に染み入る文章です。