分からないことは人に聞け恥ではない。但し何度も聞くな一度聴いたら 憶えておけ!について考えるの巻き

タイトルの前半は丸善石油創業者和田完二氏の日めくり法語お言葉から、後半は
不肖このkumanoayuが追加したもの。私の座右の銘のひとつである。


2022年11月28日(月)    kumanoayu


写真① 紀伊駅近くの松林寺さんから東南の方角・岩出町方面を俯瞰する。


 11月28日(月)天気予報の通リ晴れてくれたので以前から計画していた和歌山行きを実行した。お世話になったお方(私にとっては初芝のおばさん)が眠っているお墓参りをするためである。
自家用車で大阪から片道で約100km なので往復でかれこれ200km 近くになる。
和歌山と言っても同市の北部にあたる。JRで言うと紀伊駅の近くにある曹洞宗の松林寺というお寺さんが目当てであった。私が田舎から大阪にひとりで出てきたときに、縁あって1年ほど寄留させて頂き、何にも知らずの田舎者を大阪の生活に慣れるべく何から何まで仕込んで頂いた大恩有るお方なのである。中学校を卒業するまでは「海」の見えない山また山の山奥で育ったのであるから、よくも一人で汽車や電車を乗り継いでそのお家にたどり着いたものであろうか!


写真② 秋らしさの象徴のひとつ色づいた「柿」はひとつどころか鈴なりの様相で絵になり
    ます(根来寺にて)


 JR熊野市駅から夜行列車で出発➡天王寺駅➡阪和線の三国ヶ丘駅(ここで高野山方面行南海電車に乗り換え、初芝駅が目標点であった。
とに角知らないことばかりなのである。しかしメモだけはしっかり持って、必要な所で聞き倒すことしかないのであった。田舎弁で都会の大阪の人たちに必死になってお聞きするのである。聞いて答えをもらわないと次の行動に繋がらないので有るから、こちらもメモを片手に必死に誠意をもってお聞きしたことを覚えている。初対面では有るが夜行列車から出て来た田舎者のことと察知して下さったのであろうか、大都会の大阪の皆さんはポット出の田舎もんにも親切丁寧に対応してご教示下さり、無事に目的地に到着した。
こののち、ここを出発点として私の人生がスタートするのである。


写真③ 空中の紅葉(根来寺にて)


 初芝のこのおばさんは私の母の知人と言うだけの間柄であった。同郷の熊野市出身であったが早くから大阪で生活基盤を築いておられた。子供がいないこともあって自分の生涯のことも生活設計をされておられたようで、生存中に自分のお墓の「永代供養」をお寺さんに依頼して「単独墓」をきちんと手当てなさっておられたのである。故人となられて既に25年ほどになるが毎年お盆、お彼岸にはお参りに来るのが楽しみの一つになっていた。
こちらのお寺のご住職さんとも短い時間では有るが、親しくお話させて頂くことが楽しみのひとつにもなったものである。
コロナ禍でここ数年と言うものは自ずと足が遠のいていて、人間として考えたときすごく気にはなっていたのでした。
思い切って本日実行出来て救われた気持ちになったのでした。


さてそのご褒美は、実はこの近くに四季の変化に富み、桜・青葉・そして秋の紅葉は格別の趣があるお寺さんが有るのです。こちらにもお参りする心づもりをしていたのです。


写真④ 根来寺にて左側は「国宝・大塔」1547年創建。高さ40m を誇る木造建築のこの大
    塔は日本最大で唯一無二の国宝です。
    同じく右側は「重要文化財・大伝法堂」です。根来寺の本堂に当たります。

    1405年完成。  


「根来寺(ねごろじ)」です。真言宗の高野山を始まりとする新義真言宗の総本山です。
中世の佇まいを遺す境内は国指定史跡となっており、日本の歴史・芸術などに大きく貢献した寺院です。   
ここに掲載の数枚の写真で秋の雰囲気をご鑑賞頂ければ幸いです。    (おわり)


写真⑤ 右側が「重要文化財・光明殿1804年」左側が「重要文化財、江戸時代・行者堂」
    手前の池は「聖天池」。


◆お寺さんの説明文言は全て(出典:根来寺案内パンフレットから)によります。